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関東、関西はもちろん北海道から九州まで全国にある四谷学院では、夢を叶えるために努力をしている生徒たちをサポートする事務職や受付職のアルバイト採用を随時おこなっています 関東、関西はもちろん北海道から九州まで全国にある四谷学院では、夢を叶えるために努力をしている生徒たちをサポートする事務職や受付職のアルバイト採用を随時おこなっています

四谷学院の歴史

四谷学院がどのようにして誕生したのか?少し歴史を話させてください。

今から40年以上前の1974年8月に理事長である私が作ったのは「教材制作の会社」でした。ハーバード才能開発という会社でブレーンバンクの前身となるものです。

あなたもまだ生まれていない時代でしょうが、当時から受験戦争はあり、予備校や塾も既に存在していました。

そのような時代の中で、私が教材制作会社を作ったのは、受験戦争が厳しくなり、詰め込み学習が教育と勘違いされていたことが発端です。先ほども言いましたが、明治維新時代に作られた「勉強」という言葉どおり、子供達にとって勉強は苦しいものという固定概念がすでに日本に蔓延していました。

しかし、違います

勉強とは本来楽しいものなのです。勉強によって身に付けた知識は生涯失うことのない財産なんです。勉強を通じて自分を磨き、高めていくにつれ、視点も周りの環境も向上していきます。それほど勉強(大学受験問題に限らない)は人生にとって重要なものです。しかし、勉強をつらいものだと思わせているのが、あまりにも分かりづらい教科書や参考書などでした。

だから自分は、「勉強が好きになる教材」を作りたい!自分や子供達が楽しく学べるような教材を作りたい!だから自分は、「勉強が好きになる教材」を作りたい!自分や子供達が楽しく学べるような教材を作りたい!

そう考えて教材制作会社を立ち上げました。ですから四谷学院は元々、分かりやすい教材制作会社からスタートをしています。この教材開発への想いは、現在でも同じです。四谷学院のテキストも勉強システムも「詰め込む教育」を目的としては作られていません。

立ち上げた会社名は「ハーバード才能開発」、私が得意であった英語とスペイン語、そして日本語が混ざっていてハーバー=港。deがスペイン語、英語で言えばof、つまり「才能開発の港。うちの会社を港として巣立ってもらおう」という想いで名付けました。

教材開発への想い

教材開発はとにかく徹底的にこだわりました。自分だったら絶対に買う!と思えるほどの英語と数学の教材を作ろうと心に決めていました。

作る以上は一流の先生による日本一の教材を作るべきと考え、東京大学にリスニング入試を導入したリスニング分野では日本で一番の鈴木博先生(英語)と、早稲田大学で入試委員をされていた高瀬礼文先生(数学)と、先生の門下生の先生がたにコンセプトを伝え、何度も議論し、とにかく勉強が楽しくなる教材になるよう徹底的にこだわりました。

そして「英語の才能開発」「数学の才能開発」という二つの自宅学習用の教材が誕生しました。しかし、完成までに要した期間はなんと5年半。発売されたのは1980年、私が37歳の時でした。

この教材は学年ごとに学ぶというものではなく、中3であっても中1から学ぶようなものを作りました。順番に勉強をしていくことで、自分がどこでつまずくかを知る事ができるもの。そうです、今の55段階の考えは形や名称・完成度は違えど、既にこの教材の中に盛り込まれていました。

この二つの教材はとても評判がよく、売れに売れました。その後10年を超えるロングセラーとなり、東京都の教育委員会からもお勧めの市販教材として推薦されたほどです。

この教材が売れるほど、教材を使って勉強している利用者は当然増えていきます。そうすると、徐々に利用者から「英語の才能開発や数学の才能開発の教材を使って、直接教えて欲しい」という要望が増えてきました。

そういう購入者の声にこたえるために、当時では珍しかった「個別指導塾」をスタートさせました。それまでの一般的な講義形式の塾とは考え方も方針もまったく違っていましたが、教育理念は今と同じです。

一人一人理解度もこれまでの勉強量も違うのに画一的に同じ内容を教えても意味がない。マンツーマンでその生徒にあった内容を教えていく。それが一番生徒のためになる。

そう考えると、「個別指導」をせざるをえないわけです。これが現在の「四谷学院」が誕生した瞬間です。

個別指導塾から大学予備校の四谷学院ができるまで

教材を使い、勉強を楽しく学べる要素を盛り込み、主に小学生〜高校生に勉強の楽しさと自ら学ぶことを通じて夢や目標を叶えてもらうことをマンツーマンで教えていました。

当時はインターネットやSNSなど存在しない時代でしたし、個別指導塾をしているという宣伝は殆どしなかったのに、口コミだけで生徒はどんどん増えていきました。

そうするとある時、入学者の中で「大検をとりたいんです」と言ってきた生徒たちがでてきました。
※大検とは、大学入学資格検定の略で、中卒者や高校中退者などが大学を受験するための資格であり、高校卒業程度の学力があると認めてもらうための国家試験。現在は、名称が変わり、高認(高等学校卒業程度認定試験)となっています。

当時「大検」は会社として取り組んでいませんでしたが、個別指導塾で高校生にも高校の内容を教えていたし、生徒達の夢を叶えてあげたいという想いで大検の事を調べ始めました。そして過去問題などを見た結果「これならうちでもやれる」と確信し、「大検合格のための教材」を開発し「大検受験予備校(四谷高等学院)」がスタートしました。

大検合格のために開発した教材を使って生徒たちに教え始めたところ、中学校を卒業してすぐ15歳の4月に入学した生徒たちが8月の試験に一発合格したのです。そうすると今度は大検に受かった生徒たちが、「次は大学に入学したい」という要望を言ってきました。

「自己実現のお手伝い」が私たちの使命ですが、「大検合格レベルの学力」と「大学合格レベルの学力」は大きく違います。また当時の四谷学院は高校生にも教えていましたが、「大学入学や志望大学合格のため」に勉強を教えるのではなく、高校の勉強にちゃんと楽しくついていけるように教えており、大学受験のための個別指導はしていませんでした。

名前をよく耳にする大手予備校が「大学合格のための勉強」には力を入れていたようなので、生徒のことを考えると「大学合格のための勉強」であれば、「他校の方がノウハウもあるだろうし、大きな塾もいっぱいあるし、そっちに行った方が良い。」と言って、送り出しました。すでに大検予備校として四谷高等学院としてはキャパシティも一杯一杯でしたし、生徒たちのことを本当に考えれば「(売上のためだけに)うちで頑張れ」とは言えませんでした。

ところが、送り出した生徒達が皆、数ヶ月も経たずに戻ってきたのです。

理由をそれぞれ聞くと、
「難しすぎて、ついていけない。大学受験も四谷学院でやりたい。」「難しすぎて、ついていけない。大学受験も四谷学院でやりたい。」

というのが、共通した理由でした。正直まいったなと思いましたよ。

自分たち四谷学院の勉強のやり方が好きで、「ここで勉強したい」と頼ってきた生徒達を追い返すわけにもいかず、「じゃあ分かった。18歳まで面倒みてやる」と言う事で、受け入れることにしました。
これが大検予備校だけだった四谷高等学院が、大学受験に踏み込んだ瞬間でした。そして、名前を現在の四谷学院に変えました。

まだ土屋さんという生徒とも出会っていない時であり、当時は、現在の55段階システムのように形あるものとして完成していませんでしたが、「勉強の仕方」は小学校でも中学校でも高校でも大検でも基本は同じであり「基礎を大事にし、一人一人が自ら学べるように、そして成長を感じられるようにしていくこと」でしかないと分かっていました。

いよいよ大学受験予備校である四谷学院がスタートしましたが、その大学受験を目指す第一期生となった生徒達にも教えていたことはやはり「基礎」でした。ただし、それぞれの科目毎に本人がどのレベルにいるのかを常に確認、指導できるような仕組みのもと教えていきました。

当時、名前はまだありませんでしたが今の「科目別能力別授業システム」の形となった教え方と、名前のあるシステムとして正式に導入できていませんでしたが、中学レベルから勉強をする「55段階」の前身ともなる勉強方法はしていました。

このような教育をした結果、一期生である彼らの実力はどんどん上がり「大学に入学すること」が目的だった生徒達が、高校に行かずに東京大学や早稲田大学、慶應義塾大学などの一流校に合格していったのです。

そして、二期生、三期生と、驚きの成長をとげて夢を叶えていった生徒達が増え「四谷学院は大学受験予備校」として認知度が上がっていき、大検希望者だけではなく、予備校生や現役の高校生が生徒として増えていきました。

当時、四谷学院は東京都新宿区の四ッ谷(本社)にしかなかったので、生徒が横浜など遠方からわざわざ通ってくれていました。生徒のためにも学校や自宅の近くにあった方が勉強時間もとれるので、通っていた生徒が多い順番で「横浜に」、次は「千葉に」そして「埼玉に」という風に校舎が増えていきました。その後は、現在のように良い立地があればその土地やビルを買って、北は北海道から南は福岡まで全国に29校舎ある状態となりました。今後も運営できるスタッフが育つごとに校舎は増えていきます。

全国各地に四谷学院の校舎が増えていく過程で今後取り組む事業を考えた結果、「様々な分野において社会に貢献し、未来を担っていく頭脳集団を育てること」を会社の使命として明文化し、2002年に、社名を現在の「ブレーンバンク株式会社」に変更しました。

その後、大学に入学・卒業しても勉強をしたいという卒業生のために「資格などを取得する社会人向けの通信教育講座」を開講したり、自閉症や発達障害の子供たちにも、勉強を通じてできることの喜びと広がりを実感してもらうために「家庭でできる療育の通信教育講座」も開始しました。今後も教育分野において四谷学院独自の教育システムを求めている人たちに貢献していきます。

「発達障害児の通信教材」として、療育55段階プログラムは新聞各社にても紹介
※「発達障害児の通信教材」として、
療育55段階プログラムは
新聞各社にても紹介されました。

このように四谷学院独自の「55段階個別指導®」と「科目別能力別クラス授業」というダブル教育システムは、ただの大学受験用の勉強方法ではなく、脳科学や心理学も考えて作られており、日本中の人々に「学ぶ喜び」と「自己成長・自己実現」を与えることができる手法です。勉強の根本的なやり方から考えている我々の手法は「学ぶ」という教育分野であればすべてに流用できます。

私たちの会社を通じて、夢を叶えたり、目標達成できる人を増やすべく、あなたがこの文章を読んでいる現在も、進行形で社内において教材開発はおこなわれておりますし、四谷学院を活用して日々成長している人たちがいます。

子供達にとって勉強を楽しいものにしたいという想いで「教材づくり」から始まった会社が、望まれた結果、個別指導塾、大検合格のための塾、大学受験の予備校、社会人向けの通信講座、療育講座を開講してきたというこれまでの経緯からも分かるように、ブレーンバンク=四谷学院という会社は「生徒や周囲にこんなのが欲しいと求められ、教材やサービスを作り、提供してきた会社」です。そしてこれからも自己実現できる人を増やすべく、教育分野において求められたものを提供し続けていきます。それがブレーンバンク株式会社です。

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